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◆ ホーム >> 最新宇宙ニュース:2003年 >> 日本初の衛星「おおすみ」が33歳で大気圏突入

8月2日午前5時45分(日本標準時)、日本最初の人工衛星「おおすみ」が大気圏に突入し、消滅しました。再突入した位置の直下は、北緯30.3度、東経25.0度で、北アフリカ(エジプトとリビアの国境の砂漠地帯)です。

1966年、糸川英夫先生が率いる東京大学宇宙航空研究所は、人工衛星を打ち上げる技術を習得するため、L-4Sというロケットを使って小さな衛星を軌道に乗せようとしました。ところがこれがうまく行かず、日本初の人工衛星は予期に反して4年にわたる長期戦になりました。この間、一部のマスコミの心無い批判にさらされた糸川先生は退官し、種子島宇宙センター建設に伴う漁業問題が発生する等、日本の宇宙開発はあたかも大海に浮かぶ小舟のように揺られながら苦闘をつづけました。

おおすみ
おおすみ

そしてついに1970年2月11日13時25分、鹿児島県内之浦にある鹿児島宇宙空間観測所から、輝く青空に吸い込まれるように旅立ったL-4Sの5号機によって、日本初の衛星「おおすみ」が地球周回軌道に投入されたのでした。

「おおすみ」は、チタニウム合金でできた第4段モーターの上にアルミニウムのカバーをもつ計器部が取り付けられた形をしています。外側には2本のフック型アンテナ、4本のベリリウム・カッパ―のホイップ型アンテナ(円偏波)がついており、重さは、計器部が9kg、第4段の燃焼後が15kgで、合計24kgでした。

もともと衛星軌道への投入のためのロケットの練習でしたから、「おおすみ」に搭載した機器は、加速度計、温度計、送信機ぐらいで、他には電源の酸化銀-亜鉛電池が載せられていました。打上げ後に内之浦の視界から消えた「おおすみ」の電波が最初にグアム島の追跡局から「受信!」の報が入った時の感動は、忘れることのできないものです。

発射後約2時間半を経過した15時56分10秒、「おおすみ」からの最初の電波が発射場の西の山の方向から到来しました。それから約10分の間、ロケットのモーターケース表面の温度が約50℃だとか、テレメータ送信機の水晶発振部の温度が68℃だなどと叫んでいるうちに、16時6分54秒、再び「おおすみ」は山陰に姿を隠しました。

「おおすみ」が地上と連絡をとっていた時間は14〜15時間だったのですが、投入された軌道が、近地点337km、遠地点5151kmという長楕円軌道だったために、かなり長生きしたものです。もちろん大気圏に突入した「おおすみ」は、跡形もなく消滅して、自らを葬りました。

私個人にとっても青春の喜びの頂点に位置する「おおすみ」の誕生は、多くの関係者にとっても「宝の思い出」でもあります。あの頃の湧き上がるような団結の力を、日本の宇宙開発が再び取り戻すことができる日を願って、10月1日のJAXA(宇宙航空研究開発機構)の誕生を迎えたいと思います。(2003/8/4)

宇宙科学研究所 的川泰宣

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